K.H's Blog ~ライカM3、エキザクタ ヴァレックスとか

ライカM3やエキザクタ ヴァレックスで撮った写真たち。リコーGXRマウントA12+オールドレンズの写真も。たまにつぶやき。らせん階段と古い床屋のサインポールも充実!※写真の無断転載を禁じます。

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ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナーツィクルス公演/ブルックナー交響曲第5番 

2016.02.14

2月14日、サントリーホールにてダニエル・バレンボイム指揮、シュターツカペレ・ベルリンの演奏によるブルックナー交響曲第5番を聞く。

音楽の解釈とは何か、ということを考えさせられる演奏会だった。

確かにバレンボイムは天才なのかもしれない。何も意識せず、自分の解釈を音にできる。音楽的なバランスは完ぺきだ。オーケストラも完全に掌握している。
オーケストラも、弦のほの暗い音色、正確で豊かな表現を聞かせる管楽器と申し分ない。

しかし、自分にはどうしてもブルックナーという作曲家の崇高な作品をどのように演奏すべきか、そこからどんな哲学を聞かせるか、ではなく、バレンボイム自身が音楽をどう料理したか、という自身の表現の披露としか受取れなかった。
つまり、ブルックナーに耳を傾けるのではなく、バレンボイム自身の音楽観を聞かせるような。

それでは、バレンボイム自身が何に関心を持っていたように聞こえたか。

彼は、ブルックナーをワーグナーとマーラーの間に揺れ動くものと理解しているようだ。

ワーグナーの楽劇のドラマツルギーとマーラーの民謡性や俗っぽさの間を埋めるものがブルックナーである、
そのように聞こえる演奏だった。

そう言う意味では3楽章が最も合点のいく演奏だった。マーラーでよく聞かれるようなオーストリアの民謡は、ブルックナーの音楽にもあるのだ、という点を改めて気づかせてくれた。
その“民謡”の歌い方は特徴的だ。前のフレーズが残ったまま次のフレーズを歌い出す。歌いたくて歌いたくて仕方がない、というように。

それはそれで解釈なのだろう。ブルックナー自身に俗っぽさもあるだろうから、あながち間違いとも言えない。そこは評価すべきなのかもしれない。

しかし、この曲の持つ、宗教的な高みに達しようというような敬虔なキリスト教徒=ブルックナーの側面は、少なくとも自分には感じることができなかった。
キリスト教が持つ世界観を音楽で仰ぎ見るような、この曲が内包しているであろう崇高な理念を、バレンボイムが理解しようとしていないように思えたのだ。

例えば4楽章。ゴシック建築の大聖堂の石を1つ1つ積み上げるような主部のフーガや第3主題がまるでカリカチュアみたいな混沌として提示され、コラールも力強さはあるものの、荘厳な空気とは全く別の世界。フィナーレまでは、混乱に拍車をかけるようなアッチェルランドを駆使したせわしない音楽が続き、そこから一転、もったいぶったようなテンポのコラール主題に至る。そして最後は倍管編成の大仰な音。

金管楽器に倍の人数を揃え、ティンパニを2組用意してまで表現したかったものは何か。そこからはマーラー的な誇大妄想しか捉えることができなかった。
ワーグナーは自分自身を尊大な存在と思っている節がある。バレンボイムもそのような自身をブルックナーの音楽で表現したかったのか。

あまり個人的な感想は挟みたくないのだが、その誇大妄想的な世界観を心底腹立たしく感じてしまった。
世界の頂点に立つのは神ではない。偉大な存在による偉大な精神なのだ――ブルックナーの敬虔な気持ちが踏みにじられ、凌辱されていく。
私は一切の拍手をせず、会場を足早に去った。

このほかにも、2楽章の冒頭からしばらく手摺りに手をかけ、指揮棒を振らない様や、
4楽章のはじめのころ、クラリネットが謎かけのように2楽章の主題などを導くところで、こともあろうに尻を振って指図するような傍若無人とも思える様子は、見るに堪えない行為であった。

作曲とは作曲家の思想を音楽にすべく、譜面にすることだと考えている。指揮者はその作曲家が描きたかったものを謙虚に捉え、解釈に解釈を重ねる。
ブルックナーの場合それが大変に困難で、楽譜をそのまま音にすればよい、という考えが跋扈し、今日に至っている。
これに対し、バレンボイムの音楽は自身の感覚に根ざしている。一方で、過去のブルックナー指揮者が持っていた演奏様式や、ある方向性を目指す姿を捉え、それを十分に身につけている。

バレンボイムの今日の演奏に足りない点は、作曲家への謙虚な態度ではないか。
自身の思い込みが激しい、というか自分自身の頭の中でしか演奏ができない人物のように思えてしまう。

今回の演奏会はブルックナーチクルスの一環だ。10日程度の日程で全曲演奏ができる訳を知ったような気がした。
バレンボイムには楽譜の底にある作曲家の苦悩や世界観、哲学を考え抜く必要はない。彼は自分の天賦の才を音にするだけで十分だからだ。
これを天才と取るべきなのかどうか――私には少なくとも理解できない。
(160215加筆)
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タグ : バレンボイム ダニエル・バレンボイム シュターツカペレ・ベルリン ブルックナーツィクルス ブルックナー 交響曲第5番

読響 スクロヴァチェフスキ指揮 特別演奏会 《究極のブルックナー》 

2016.01.23

1月23日、東京オペラシティコンサートホールでスクロヴァチェフスキ指揮のブルックナー交響曲第8番を聴く。

ブルックナー演奏をいくつか聴いた中でも、楽譜の読み込みとその表出という点では最も感銘を受けた演奏だった。

音は渋く、重心の低い音が続く。
そうした中、楽譜にはこんな音形が書かれているんだ、とか、こんな楽器の組み合わせなんだ、という発見が次々と聞こえる。

それが以前だと、どこか飛び出して聞こえるように、不自然さを感じていた部分もあったのが、
今日のスクロヴァチェフスキの演奏はきわめて当然のように提示され、それでいてさまざまな音形やリズム、強弱によってこの曲が成り立っていることを教えてくれる、そんな演奏だった。

彼は楽譜を解釈するのではなく、読み込んで読み込んで、音にするタイプなのだろう。
クレンペラーも管楽器を大切にするなど、音の明確さには細心の注意を払い、スクロヴァチェフスキと同様の方向性であるように見える。

クレンペラーの場合、強烈な意思が音楽にまで表出され、そこに叙事詩的な啓示が現れる。
しかし、スクロヴァチェフスキの場合、意思はない。ただ究極に音となったものがなるだけである。
これはこれで、92歳の指揮者が到達した一つの世界観だろう。
だから各楽章による性格分けなどはあまり聞こえてこず、一本調子のようにも聞こえる。
1楽章の「音」、2楽章の「音」はそれぞれこうして構成される、ということを示すことで、
各楽章がおのずと「違うもの」として現れる。そんな音楽である。

楽章では2楽章が最もおもしろかった。
こんなにリズムが次々と隠れているのかと、その音符を書いたブルックナーの才能を再認識させられる。
1楽章はおどろおどろしくなく、悲劇的でもなく、太い鉛筆できっちりと輪郭を描き、その中に濃淡を白と黒で塗り分けていく、そんな音楽であった。
3楽章も同様。感動的ではないが、とにかく音の変化に強い印象を受ける。
白黒でこれだけ変化が描けるのか、という感銘である。ここに自然をめでる姿とか、そういった“解釈”はない。
しかし、相当に立派なものだ。

4楽章はかつての鋭角的なスクロヴァチェフスキが最も蘇ったような気がする。
テンポは概して早く、最後もそっけないくらい。
でも、「楽譜読み込みの巨匠」が音に出し切った感はあり、その到達点はやはり立派だ。

最後に。
・楽譜上の最後の音が終わってすぐに「ブラボー」と叫ぶ愚か者は、指揮者の最大の敵である。
・東京オペラシティコンサートホールの設計者は、コンサートホールは1階席で聞くもの、左右のバルコニーなど不要、と思って設計したらしい。
 ヴァイオリンが全く見えない席など、ニ度と購入したくないものだ。

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タグ : 読響 スクロヴァチェフスキ 特別演奏会 ブルックナー 8番 東京オペラシティコンサートホール

2015.12.08 キング・クリムゾン来日公演を聴いて 

2015.12.09

12月8日、渋谷のオーチャードホールにて、 キング・クリムゾン来日公演を聞く。

キング・クリムゾンは結成以来、〝人事〟が一つのキーワードだったように思う。これ以上望めない最高のメンバーがそろったこともあった一方、音楽性や生き方の違いなどで、分裂と結成を繰り返してきた。

こうした中、今回のメンバーは〝がさつなクリムゾン〟を生み出してしまったようだ。

これまでキング・クリムゾンは、オスとメスというような、両性の面を兼ね備えていたと理解している。例えばピート・シンフィールドの歌詞、デヴィッド・クロスのヴァイオリン――エイドリアン・ブリューのあの神経質でつかみどころのないギターだって、ある意味〝おきゃんなオンナ〟を思わせる。
それが今回、〝オス〟の面しか見られなくなってしまったように思う。バンドにおける繊細さは目的から外されてしまったようだ。

時に「ディシプリン」というテーゼを掲げ、ち密さや緊張感で圧倒してきたバンドは、その部分を失ってしまったように感じた。

例を挙げよう。

「スターレス」でヴォーカルのブロックが終わり、単音のギターを奏でる部分。今回はヴォーカルのジャッコが担当したのだが、
リズムが走り気味になったり、音が均一でなかったり、とてもフリップが奏でるような緊張感がないのだ。
この部分を聞いた時、あんな単音をただ鳴らすだけの音楽がいかに難しく、そしてロバートがいかに優れたギタリストなのか痛感させられた。

ジャッコのヴォーカルは音程といった点は評価できるかもしれない。しかし、どの歌もスタッカート気味でフレージングが短く、かつ単一な解釈で、どの曲も同じように聞こえてしまう。「レターズ」の愛する人を失った者が死を選ぶ前の情念とか、「エピタフ」の諦念など、曲の前半で必要な解釈を理解していない印象だ。
かつてボズ・バレルのことをピート・シンフィールドが叱責したエピソードを思い出す。
「君はだから無知だっていうんだよ」

リズム隊はトリプル編成。最初その話を聞いた時、ガムランのような音楽を奏でるのが目的で、そのうえで、音量をカバーするための編成なのだと勝手に勘違いしていた。
それはまったく違った。どの曲でも叩きまくりで、しかも同種のドラマーが揃ってしまったため、異なったリズムの捉え方による掛け合いといった面白さや、ち密で繊細な感覚は聞かれない。「スターレス」の単音ギターの裏で聴かれるパーカッションも前半からうるさく、「エピタフ」の壮大なラストに向けた静的なアプローチ、「セイラーズ・テール」のラストのカオスに向けた躍動は台無しになってしまった。

知的でち密な部分が聞かれたのはフリップのギターとトニーのベースだけ。
リズム隊の大きすぎる音量に、メル・コリンズを筆頭にドラマー以外のメンバーがバランス面で相当苦労してる様子が見られたように思えたのは私だけだろうか。

大音量というダイナミズムがテーマで、いつまでも「プログレッシブ・ロック」の枠にはまらない、これまでの音楽性の破壊を自ら行った、という方向だった、との解釈もできよう。
しかし、3人のドラマーを並べ、前述の面を無くしたことが、良い結果を生み出したとは、残念ながら思えなかった。

3人のドラマーを並べるアイデアは使い方次第では面白いだろう。今回もフレーズを左右のドラマーで分けるなど工夫もあった。テクニックもわかる。しかし、手数やパワフルさを基調に置いた叩き方の3人が並ぶのは人事面の失敗のように思う。
生真面目さと理知性とは異なるものだ。

この人事がうまい形で刷新され、ち密さや知性が戻ることを期待したい。

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タグ : キング・クリムゾン 来日公演 オーチャード・ホール ロバート・フリップ

テレビ朝日「報道ステーション」問題を例え話で考えた。 

2015.04.18

朝日くんは生徒会長。生徒会の運営規則に

・生徒同士の考えに公平であること。
・事実をまげないで運営すること。
・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

があり、これを大事にしている。

朝日くんは成績優秀。その一方で、誰とでも仲がよく、不良のジミーくんにも一目おかれ、よく一緒に釣りなどにも行く。
そのことを一部の生徒から「不良グループと仲良くしやがって」と冷たい目で見られていた。

さて、生徒会で、学園祭について考える公開討論に、古賀くんという生徒が来た。頭は言い子なんだけど、自分勝手。自分の意見がすべて正しいと思っている。
古賀くんはいきなり、「自分が大学推薦を受けられなかったのは、不良グループが圧力をかけ、不良グループとの関係を心配した朝日くんが生徒会に入れないように働きかけたからだ!!」と暴言。

これに慌てた朝日くん、「生徒会としては古賀さんが関係ない部分でコメントしたこと。これについては残念だと思っております」と発言。その後、古賀くんは生徒会に呼ばれなくなった。

古賀くんは、これを憤慨。あちこちで「生徒会に呼ばれなくなったのは、朝日くんがジミーら、不良の圧力に負けたからだ」と吹聴。

これに友人の上杉くんらは同調。古賀くんを降ろした生徒会は不良グループに脅かされているのに、それを生徒会で公表しなかった。とあちこちで吹いて回っている。

ジミーくんと仲良くして、ジミーくんに脅かされている=いじめられているのに、これを公に言わない朝日くんこそが悪いと。

ジミーくんは不良だけど、生徒会規則は重要だと考え、

朝日くんに「生徒会運営規則は守るべきだと思うよ、お前、この前の古賀くんのこと説明しておくれ。」
と朝日くんを家に。

これを見た、田原先輩、

ジミーが朝日を呼びつけるとはけしからん。のこのこジミーの家に行くのもけしからん。

とあちこちで吹いて回る。

……テレビ朝日、報道ステーション問題って、こういうことなんだろうと思うのですが。

つまり、

①朝日くん=テレビ朝日は、ジミーくん=自民党にいろいろ言われているけど、
 それを公表しない=いじめを外に言わない人はいじめられて当然、って論理だよね。

②古賀くんは、生徒会で話し合うべき話をしなかったのが問題なのに、勝手にジミーくんが外したと思っている。
だから、ジミーくんと朝日くんが仲がいい問題とは別だよね。

③いじめっ子が原理原則――この場合は生徒会運営規則=放送法を言うのも、いじめ、って言えるのかどうか。

このあたりがそれぞれの立場で勘違いしているのだと思う。

タグ : テレビ朝日 報道ステーション 自民党 川崎二郎 古賀茂明 上杉隆 田原総一朗

本日のEテレ「デザインの梅干」 

2015.02.19

本日2月19日、午後11時~11時45分放送のEテレデザインの梅干で、
小生の写真が使われます。

「第1回目は、理容室を示す『バーバーサイン』を解剖し、目印の成り立ちと機能を考える。」とのことです。
そうか、あれって「バーバーサイン」って言うのか。
どの写真かはお楽しみに。
あ、番組も楽しみです。

タグ : デザインの梅干 Eテレレトロ サインポール

こんなメールをいただきました。 

2015.02.07


いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
こんなメールをいただきました。
************************************************

どうもはじめまして (略)。 
いつも見させて頂いてます。これからも素晴らしい写真の掲載をお願いします。
今回、メールを送らせて頂いた理由は、
このブログの写真が無断転載禁止なのにも関わらず、
動画で使用されているのを偶然確認しましたので、ご報告させていただきました。

使用された写真
(略)
写真を無断で使用している動画以上です。閲覧の際には、アカウントが必須となっております。ご了承下さい。

また、動画の中には過激なシーンが含まれているので、確認の際には注意して下さい。
一応報告する前に自主削除を行うように投稿者に促したのですが、全く聞き入れて貰えませんでした・・・
SUNAMI KEI様のブログを見るのを日課にしている私は悲しく思います・・・
個人的に悪質だと思ったので、どうか対応をお願いします。
長文失礼しました。返信を頂けると幸いです。

********************************************

ありがとうございます。

肝心の動画ですが…見ていません。ウイルスとか、怖いので。

どう対処してよいものか…良い知恵はないものですかねえ。

しかし、使用している写真が「崖」とは。
動画に無断で使ってる方、早々に画像の削除をお願いします。

投稿にお答えします。 

2015.01.14

いつも当ブログを見ていただき、ありがとうございます。
先日、ご覧いただいている方から、こんなメッセージをいただきました。

>突然すみません。
>ブログを楽しく拝見させてっもらった者です。
>一つ質問があるのですが、2010.02.17の記事のトマス・ランチベリーと言う人物ですが、どういった方なのでしょうか?
>当方、建築関係の仕事をしているもので、この人物についてとても興味を持っております。
>ネット検索でも出てこないので、詳細などありましたらよろしくお願いします。

質問ありがとうございます。
こちらの写真ですね。

で、答えなのですが…。
トマス・ランチベリーは空想の人です。ごめんなさい。

よく美術系の本にある記述をまねしたパロディだったんです。
ああいう表現って面白いな、と思って。

当ブログには同様のパロディがたくさんありますので、「ああ、こういうの美術の本で見たことある~」などと、
楽しんでいただけたら嬉しいなと。

今後とも皆さんに見ていただけるブログを目指しますので、よろしくお願いします。

掲載写真について 

2014.02.12

今日、考えがあっていくつかの写真を削除した。

トラブルが発生したということは断じてない。
プライバシーという問題で、自分として整理がつかなくなったものを外したのだ。

自分としては、自分で撮った写真にそれなりの思い入れがあるし、それゆえ掲載していたのだが、
やはり、現代のプライバシーは、行き過ぎぐらいの考えで対応しなければならないのだろう。

他方、なぜブログに掲載したいのか、という自分への命題ももたげてくる。
自分としては他人の評価も得たいし、
例えば画像検索して、その上位に上がるものは、多数の方に見ていただけた、という事実だけで励みになる。
研鑽の糧になるものだ。

しかし、プライバシーを乗り越えてまで、載せるべきなのか――その命題に是と言い切る考えがなくなり、
今回の処置に至った。

今まではブレッソンに敬意を払い、表現したいという思いから撮影をしてきたが、

21世紀の社会に負けない形で表現を磨きたい、そういう思いで写真は続けるし、
正々堂々写真は撮りたい。
そして、広く社会に見ていただき、なにがしかの共感が得られると考えられる写真が撮れたら、
ウェブへの公開を続けたいと思う。

テーマ : 街の風景 - ジャンル : 写真

タグ : 写真 プライバシー ブレッソン

ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団のマーラー「復活」 

2014.01.25

久しぶりにめったにない演奏を聞いた。テミルカーノフ指揮、サンクトぺテルブルグフィルのマーラー「復活」だ。

演奏は実に自由闊達。出だしの遅いテンポから、異形の音楽が始まる。その後は比較的速いテンポで、経過句のような部分は快調に飛ばすのだが、旋律の印象深さ、不思議なまでの濃厚さは、一つ一つのメロディが太い毛筆で書くようだから。

音の響きは圧倒的で、特に終楽章では会場がビリビリ鳴っていた。あれは確かに宇宙の始まりだ。
フレージングやときおり短かく切るような金管の吹かせ方などテミルカーノフ独自の解釈に溢れる。挙げ句には三楽章途中で舞台に入るアルト、同じく四楽章で入るソプラノ、座りながら歌い始める合唱など、枚挙いとまがない。
それでいて一期一会の名演と確信するのは、音楽の説得力ゆえ。マーラーは異形の人、狂人の音楽、音の喜びなのだと。

一楽章は、ゆっくりとした入りから、終わりに向けてはたたみかけるよう。第2主題もさらっと歌うようで、濃厚に感じるのは太い音故。テンポや強弱の対比ではなく、濃度の対比で主題を歌い分ける。

二楽章では、さすが牧歌的な雰囲気も。それでも、濃密な音は変わらない。

三楽章はまさに異形の音楽。現代音楽の礎とも言うべき、饗宴の世界。

四楽章は一転、敬虔な響き。最初の音に落涙する。

そして終楽章。これは歓喜だ。そしてその気分は復活の意志とともに強靭な力となり、疾走する。
そして最後は音が世界を飲み込んでいく。

珍解釈、爆演と揶揄する輩もいようが、この自家薬籠中の演奏は、巨匠の表現力に敬意を払うべきだろう。めったにお目にかかれない体験!

1月24日、文京シビックホールにて

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

タグ : ユーリ テミルカーノフ サンクトペテルブルグ フィル マーラー 復活

下野竜也/読響のブルックナー5番 

2013.02.19

久しぶりに文章を。

2月18日、下野竜也指揮、読売日本交響楽団のブルックナー交響曲第5番をサントリーホールで聴く。

下野さんらしい演奏だった。

彼の演奏はいつも幸福感に溢れる。
音が徐々に膨張して、はち切れんばかりにホールに満ちる感じ。
幸せの指揮者と呼びたいくらい。

それは昨日のブルックナーでも同じだった。

ゴシック建築を思わせたり、神秘性を持ったり、といった解釈ではないのだが、
下野さんの音楽性として受け止めれば納得でき、また、そうした個性を持つ指揮者でもある。

そういう意味では2楽章が良かった。
いや、実はどこか切なくて、人生の彼岸を感じさせる演奏だったのだけれども、
かように人間性を感じさせるのがまた、下野さんらしいのだ。
人の喜怒哀楽を享受できる=幸せ、という意味で。

3楽章は楽しさは感じられたが、ちょっと若さが前面に出たきらいがある。

1、4楽章は、うるさ型のブルックナーファンには受け付けない面もあったかもしれない。
1楽章は響きと言う点でやや物足りない部分もあるし、4楽章は、フーガやコラールがもう一息といった感じかもしれない。

でも、それらは年齢を重ね、円熟することで解決できそうな気もする。

むしろ終楽章の終わりで、あれほど豊かさを感じたのは、めったにないこと。
実に肯定的で楽天的な世界観。
ブルックナーも意図したであろう(と私の思う)人が神の下に近づくさまを描いていた。

読響も好演。特にブラスセクションは屈指の出来だったのではないか。

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タグ : 下野竜也 読響 ブルックナー 交響曲 第5番 サントリーホール

2012.08.23 VDGGライブ 

2012.08.24

久しぶりにライブを聴きに行った。

8月23日、クラブチッタにてヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター (Van Der Graaf Generator、以下VDGG)のライブを聴く。

知的にコントロールされた、最も美しい混沌――これがライブを聴いて思ったこと。

混沌とコントロール、本来相反する事項がここでは共鳴し、最高の音楽を奏でていた。

個人的にはただ騒音を出すだけの行為は音楽だとは思っていない。
また、ノイズを偶発的に出すことを音楽とも思っていない。

VDGGは違っていた。
ピーター・ハミルが伝えたい世界…人の持つ様々な苦悩、エゴ…そういったものを表現する方法として、
そして、表現すべきものとしてそこには混沌があった。
創造による混沌だったのだ。

ただ若さだけ、とか、力まかせなだけ、ではない。
熟知された響きを、円熟した3人が奏でる。それを聴けただけでも幸福だった。

それだけではない。

老人(失礼!)バンドにありがちな手抜きがないのだ。
過去の曲をただニコニコしながら演奏するのではなく、新たな表現=プログレッシブさを追い求めているのが分かるのだ。

当然、ピーター・ハミルの歌はすべて原曲のキーのまま。
時に優しく、そして驚くまでの絶叫まで、あらゆる声を出すのだ。
もちろん、年齢による衰えがなかった訳ではないが、
まさに表現として磨きのかかった、否、表現を追究した求道者の声だった。

特に印象的だったのが、ガイ・エヴァンスのバスドラム。

このバンドはベースがいないのだが、その分、説得力あるバスドラがボトムを支える。

そのリズムの良さ、重低音が混沌を支えている。そのことを実感した。

当然、ヒュー・バントンのオルガンも冴え、微妙なストップの操作なども見られて、実に音の響きに細やかなのがよく分かる。

かように実に音の響きをコントロールしながら、混沌を作りだす。その姿は随一であろう。

曲は、スコーチド・アースや、フライト、レミングス、Childlike Faith In Childhood's End、スティル・ライフ(アンコール)など、往年の名曲のほかは新作アルバムの曲など、最近の曲が中心。

正直、馴染みのない曲もあったが、円熟した演奏に身を委ねる楽しさがあった。

一番感動したのは、アンコール前のラストナンバー、Childlike Faith In Childhood's End。
最後のオルガンの音圧、ハミルの絶唱に思わず涙。

ライブで泣いたのはいつぶりだっただろう。

テーマ : プログレ - ジャンル : 音楽

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今の選挙制度変えなければならない その1 

2012.07.04

2012年7月、小沢一郎氏が新党立ち上げに動いている。
消費税増税をめぐり、総選挙を求める声も挙がっている。

しかし、現行の制度下で選挙をして、どうなるのだろうか。

自分は何も良くならないと予想する。
このままでは選挙後にまた同じことを繰り返すばかりだろう。
だから、2012年7月の今、総選挙前に制度を変えなければならない、という考えをを記しておくのだ。
後悔をしないために。

現行の制度下では、
・衆院は任期4年。ただし内閣が実質的な解散権を持つ。
・選挙にあたっては、マニフェスト(公約)が一つの判断基準となる。
・議員は小選挙区と、比例代表から選ばれる。

となっている。
しかし、ここ数年、公約を実行した内閣があっただろうか。われわれが本当に選びたかった議員がいただろうか。

公約に関して言えば、実現不可能な、いわば飴をぶら下げたような公約ばかり。政党政治と言われ続け、比例区で政党名を書いても、選ばれるのはろくでもない議員ばかり。しかも“政党”で選ばれた輩が平気で離党し、議員であり続ける。まして、小選挙区で落とし、一つの判断が下された人物が平気で比例区で復活してくる。
いわば、大物面して、日本を混乱し続けた輩が、審判を受けにくいシステムになっている。
さらに困ったことに、そうした輩が平気で新党を作り、コロコロ政策を変えるのだ。

結局、現行制度では、失敗を続けた自称大物政治家たちが、性懲りもなく残り続け、しかも政党をころころ変えておきながら“政党政治だ”などと居直るのだ。

これでは歴史はまったく変わらない。
次の選挙もこのままでは看板を変え、調子のいいマニフェストを掲げた、過去に失策をした輩がまた国会に居続けることになるのだ

私は政策はずっと変えてはならない、とは思わない。これほど目まぐるしく状況が変わる昨今、むしろ4年前の政策を続けるほうが、対応力がないと言える。
増税にしろ、子ども手当にしろ、失策ならば、それ認め、変えればよいのだ。
だから、国民の側も、“約束違反だ”などと批判するのは、柔軟性に欠けていると言える。

ではどうすればよいのか。
まずは思いつくまま書いてみる。頭の体操だ。

・その時々の状況に応じた国民の考えを臨機にとらえ、すぐに実行できる制度に変える必要があると考える。
 当然、変えるうえでは、国民にその都度政策の確認を求め、党内手続きなどという、
 あいまいなものではなく、きちんとした手続きを経て、政策変更をする。
・一方で、実現性のまったくない公約を掲げたり、ましてや説明もなしに、
 人気取りだけでその公約がその時々で180度変わるような老人たちは、
 たとえば公約採点表などを設け、ある点数に満たない場合は政治家としての能力がない、と自動的に退職させる、
 といった仕組みはできないか。
・さらに、国民の側も、政策を“それを掲げた政党”で選ぶのではなく、政策そのものを選ぶようにする。
 例えば――ここから先は全くの思い付きだが、
 ①、②、③、④…と争点を国民が選挙前にアンケート等で選ぶ。
 そのうえで、選挙ではこれら争点から、政策として実施してほしいことを例えば「②、④」などと選ぶ。
 一方、政治家は、A候補:①は賛成、②は反対、③は賛成…。B候補:①は賛成、②は賛成、…などと自分が実現 させたい政策を掲げる。
 国民が実現してもらいたい政策に合致する政治家から順に当選するようにする。
 ――などできないか。
・選んだ以上、選んだ側も責任を持ってもらうために、投票内容の記録が残るようにする。
 (責任の担保は次の議論だが)


よく政治家にはカリスマ性が必要だ、などと言うがそうだろうか
もちろん、外交などでは必要かもしれない。
しかし、今の政治家にカリスマ性がある人間などいるだろうか。
結局は人気取り=カリスマと勘違いされているにすぎない。

日本人は集団の知恵で企業を大きくしてきたはずだ。
そうした日本人の資質を政治家に適用しないのは実態に即していない考え方だと思う。
政治家は人々が支持した政策をきちんと履行する、それが大切なのではないか。
そうした履行責任、実効性の担保がないと、なにも変わらないだろう。

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タグ : 総選挙 政党 小沢一郎 マニフェスト

国会議員の投票棄権に思う 

2012.06.27

先の衆院での消費税増税法案の採決で、民主党の原口一博議員が棄権したことで、
ネット上をはじめ、非難の声が上がっている。

当然だと思う。

国会は法律などを決める場所。そこで働く国会議員が投票に参加しないのは、職場放棄だ。

どんな理由があるにせよ、いや、理由などはないはずだ。法案の是非の判断を国民から負託されているのが、国会議員なのだから。

途中の審議が足りない、などの屁理屈はもうたくさんだ。自分で審議の過程を党内、国会で作ればよいだろう。

こうした棄権に何も罰則規定がないこと自体が問題ではないか。

棄権をしたら、次の選挙でペナルティを課すようなことを考えてもいいのではないか。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 国会 消費税増税法案 棄権 罰則 原口 一博

政党政治からの発展 

2012.06.27

政党政治をどう変えるか――その命題の答えはまだ分からないし、いろいろな人の意見を聞き、議論する必要があるだろう。

しかし、政権公約・マニフェストをどう実現させていくかは、例えば、
▽政権公約を達成した項目を○、達成できなかった項目を×とし、達成度の度合いにより、比例区の獲得議席を決める。
▽上記達成度は国民から選ばれた第三者委員会が判定、委員選任の際は、氏名等は一切公開しないなど、政党からの介入を防ぐ方法を担保する。
▽国民の側も支持したマニフェストを選挙の際に明記、自身の支持を明確化。さらに、国民からの支持が獲得投票数の3分の2以上あった公約を上記達成度の対象とする。


などの仕組みをスタートさせてはどうだろうか。

「公約が守られているか、選挙で問えばいいではないか」などと後輩が述べていたが、そんな、全く守られていないものが次々と出てくる中、4年に1度で問えますか?

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タグ : 政治 政党 政権公約 マニフェスト

政党政治の終焉 

2012.06.26

消費税増税法案が衆院を通過した。

これに関し、野田総理側、小沢一郎&鳩山氏側双方から公約をめぐり、非難合戦が始まっている。

いわく、野田総理は公約違反だと。

しかし、小沢氏、鳩山氏側からは、そもそも実現不可能な公約を掲げたこと、公約を履行する政治力を発揮できなかったことの反省はない。
まして、普天間問題を後退させ、CO2削減のため、原発推進を唱えていた鳩山氏の発言は何を言わんやかだ。

今回のことではっきりしたのは、政党政治は崩壊したことではないか。

結局、公約は守られないし、その甘い公約に乗ってしまう、国民も問題だ。
小沢なら実現できたはず、という意見もあるが、それだけ個人に依拠するのはもはや政党政治ではない。
それともわれわれは独裁者を望むのか。

増税をめぐり、総選挙で民意を問え、という。
しかし、自民はもともと増税派、増税反対の野党も、では財源はあるか?という問いに一切答えられない。
結局、どの政党の選べない、と言うのが民意ではないか。

役人の埋蔵金を暴く?結局そう言って何も出てこなかったのは明白。
役人がけしからん?そういうシステムを放置していたのが自民党だった?しかしあれから3年経って、何が変わっただろうか。
変わらない、ということは今のシステムでは何も変えられない、と考えるのが妥当ではないか。

つまり、政党政治と言うシステム、官僚が予算案を作り、国会で承認する、と言うシステムが崩壊したということ。

政治家というオイルを自民党から民主党へ乗せ換えても変わらないのだから、
結局システムが悪い、というのが結論ではないか。
それを選挙で民意を、なんて言ってもしょうがないのでは。
政党が変わっても、中の政治家は変わらない。それで変わらないのは小沢一郎本人がすべて証明している。

結局、政党政治を変える、それがすぐに無理なのであれば、選挙の方法を変える、政治家が選挙の方法を変えられないのならば、
国民の側が、現行の法に触れず、かつ公安などの力の及ばない合理的かつ効果的な方法を模索し、実施し、
政治家を動かしていくしかないのではないか。
その方法、プロセスを考える時期に来ていると考える。

このごに及んで、保守だ、革新だ、右翼だ左翼だ、原発推進だ脱原発だ、といった古いイデオロギー論争をしている場合ではない。
ネット・SNSの時代に、フランス革命由来のイデオロギー論争しかできないのは、
それこそ国民・市民の側が前時代的ではないか。

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タグ : 民主党 政党政治 小沢一郎 選挙

だからモテない その4 

2012.06.12

同じ部署の女性。

毎日、暑い、寒いを言う。

今日は寒い、明日は暑い、明後日も暑い…1年間適温がないみたいだ。

同じオフィスに長年勤めていれば、服の調整とか、考えられそうなものだが。

そして好き嫌いが激しい。

人参は嫌い、添加物はだめ、白い砂糖は体に良くない、脂身は嫌い…。

まあ、毎日毎日、よくもこれだけ好き嫌いが出ること出ること。

この人、シニア採用だが、独身だ。

曰く、良い人との出会いがなかったのだというだが。

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タグ : 恋愛 独身 モテない

だからモテない その3 

2012.06.11

昨年辞めた同僚(女性)が結婚したという、風の便りを聞く。

お相手は、数年前に辞めた同じ会社の先輩だそうだ。

数年前、二人が渋谷・丸山町から出てきたところに出くわしたことがある。

そういえば、その先輩はバツ一だった。

同僚は入社してすぐから、その先輩が好きだったと聞いたことがある。

飲み会などで、隣り合う二人を何度も見ていた。

そして、先輩は離婚し、その後、同僚は仕事のあてもないまま、突然会社を辞め…。

…こういう“女の執念”を文章にしてしまう、自分がいる。

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タグ : モテない 不倫

だからモテない その2 

2012.06.05

赤坂に会員制のラウンジがある。

会員の男性・女性が出会う仕組みだ。

ここで出会った女性。

はじめて会った1ヵ月後、“また会いましょう”との連絡があった。

会うのはまたそのラウンジ。

でも、そのラウンジは出会いの場であり、デートをする場ではない。

なぜなら、基本的に次々と女性会員が入れ替わる仕組みだから。

もちろん、一人の女性と一緒に過ごすこともできるが、そのためには“指名”の料金を払うことになる。

そして、席料+女性の飲み物代+税+サービス料…と倍々ゲームで増えていく。

結局、彼女の希望で2回目もそのラウンジでひとときを過ごす。

そして3回目のお誘い。

…またそのラウンジが良いのだという。

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タグ : モテない ラウンジ 会員制 指名料

NHK数土経営委員長・「次長課長」河本氏の会見で思うこと 

2012.05.25

数土文夫NHK経営委員会委員長およびお笑いコンビ「次長課長」の河本準一氏が会見を開き、
それぞれ辞任、母親の生活受給全額返還の意向を述べた。

この両方の案件で思うのは、
日本は法律を不要とする国家になるのではないか、という危惧。

それぞれ、不法との認識はなく、また違法性もない。
(もちろん、今の制度の是非やなどを議論する必要なある)
しかし、世論や実名・匿名を含めた糾弾が上記の結果をもたらした。

つまり、人々の「圧力」が法律を超えてしまったということ。
“報道機関が”とか“道義的に”という妙な“正義感”が法律でなくても人・企業を裁いてしまった。
この是非をどう考えるか。

二つ目は、この2つの事案とも、いじめの力学と同じだということ。
先に述べたようにいずれも制度上は問題のないこと。
それを「ひどいんじゃない」といった無数の批判によって結果が導き出されたと理解する。

でもこれって、「あいつは臭いからみんなで注意してやらないと」「あいつ、髪の毛が赤いから注意してやらないと」という無言の「正義感」がいじめを生むプロセスと似ている気がする。

こういう力学を良しとし、この力学に乗る人がそのことを理解しない限り、
日本のいじめはなくならないと思うのだが。

タグ : 数土文夫 NHK 経営委員会委員長 次長課長 河本準一 いじめ

だからモテない その1 

2012.05.23

昔であったある女性。
数年前の9月のこと。

いわゆる“婚活中”の彼女。
三十路の中学校教師。

出会うなり、
「私、今、中学3年生の担任なんです。だから、来年3月に結婚したいんです」
「3月でクラスが変わる前に結婚して、4月から新しい生徒を持つのが理想なんです」
「あ、私顔とか、趣味とか気にしませんから。3月までに結婚してくれる、って方なら」

ん?ん?

「私、学校があるから、5時に起きて6時には出ちゃいますから」
「私、8時間寝ないとだめなんで、9時には寝ちゃうと思います」

そして数回、デートを重ねた。
悪い女性ではなかった。
でも、

「私、我慢強いのは取り柄です。なんでも受け止められますから。大概のこと、受け止められますから」

あ、あのう…。

結局、彼女から、好きとか愛情に関する言葉を聞くことはなかった。

そして何の進展もないまま、分かれた。

というか、こちらから連絡をしなくなった。

彼女は結婚できたのだろうか。

タグ : 婚活 三十路 モテない

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プロフィール

K.H(元バッチク)

Author:K.H(元バッチク)
紆余曲折を経て、誰が付けたか名前はバッチク。
ライカM3とエキザクタ ヴァレックスをメーンカメラに、輝いている人々を撮ってます。モノ系では、レトロなサインポール、らせん階段、給水塔、ベランダ、教会、トラス、工場とかとか。
以前のメーン機材はリコーGXR。
たまに文書も書きます。

2012年4月、リニューアル。
2013年2月、らせん階段の写真、90アイテムに!
2013年4月、ライカM3始めました。
2013年11月、元祖35mm一眼レフ、Exakta VarexⅡaを投入!

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