K.H's Blog ~ライカM3、エキザクタ ヴァレックスとか

ライカM3やエキザクタ ヴァレックスで撮った写真たち。リコーGXRマウントA12+オールドレンズの写真も。たまにつぶやき。らせん階段と古い床屋のサインポールも充実!※写真の無断転載を禁じます。

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ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナーツィクルス公演/ブルックナー交響曲第5番 

2016.02.14

2月14日、サントリーホールにてダニエル・バレンボイム指揮、シュターツカペレ・ベルリンの演奏によるブルックナー交響曲第5番を聞く。

音楽の解釈とは何か、ということを考えさせられる演奏会だった。

確かにバレンボイムは天才なのかもしれない。何も意識せず、自分の解釈を音にできる。音楽的なバランスは完ぺきだ。オーケストラも完全に掌握している。
オーケストラも、弦のほの暗い音色、正確で豊かな表現を聞かせる管楽器と申し分ない。

しかし、自分にはどうしてもブルックナーという作曲家の崇高な作品をどのように演奏すべきか、そこからどんな哲学を聞かせるか、ではなく、バレンボイム自身が音楽をどう料理したか、という自身の表現の披露としか受取れなかった。
つまり、ブルックナーに耳を傾けるのではなく、バレンボイム自身の音楽観を聞かせるような。

それでは、バレンボイム自身が何に関心を持っていたように聞こえたか。

彼は、ブルックナーをワーグナーとマーラーの間に揺れ動くものと理解しているようだ。

ワーグナーの楽劇のドラマツルギーとマーラーの民謡性や俗っぽさの間を埋めるものがブルックナーである、
そのように聞こえる演奏だった。

そう言う意味では3楽章が最も合点のいく演奏だった。マーラーでよく聞かれるようなオーストリアの民謡は、ブルックナーの音楽にもあるのだ、という点を改めて気づかせてくれた。
その“民謡”の歌い方は特徴的だ。前のフレーズが残ったまま次のフレーズを歌い出す。歌いたくて歌いたくて仕方がない、というように。

それはそれで解釈なのだろう。ブルックナー自身に俗っぽさもあるだろうから、あながち間違いとも言えない。そこは評価すべきなのかもしれない。

しかし、この曲の持つ、宗教的な高みに達しようというような敬虔なキリスト教徒=ブルックナーの側面は、少なくとも自分には感じることができなかった。
キリスト教が持つ世界観を音楽で仰ぎ見るような、この曲が内包しているであろう崇高な理念を、バレンボイムが理解しようとしていないように思えたのだ。

例えば4楽章。ゴシック建築の大聖堂の石を1つ1つ積み上げるような主部のフーガや第3主題がまるでカリカチュアみたいな混沌として提示され、コラールも力強さはあるものの、荘厳な空気とは全く別の世界。フィナーレまでは、混乱に拍車をかけるようなアッチェルランドを駆使したせわしない音楽が続き、そこから一転、もったいぶったようなテンポのコラール主題に至る。そして最後は倍管編成の大仰な音。

金管楽器に倍の人数を揃え、ティンパニを2組用意してまで表現したかったものは何か。そこからはマーラー的な誇大妄想しか捉えることができなかった。
ワーグナーは自分自身を尊大な存在と思っている節がある。バレンボイムもそのような自身をブルックナーの音楽で表現したかったのか。

あまり個人的な感想は挟みたくないのだが、その誇大妄想的な世界観を心底腹立たしく感じてしまった。
世界の頂点に立つのは神ではない。偉大な存在による偉大な精神なのだ――ブルックナーの敬虔な気持ちが踏みにじられ、凌辱されていく。
私は一切の拍手をせず、会場を足早に去った。

このほかにも、2楽章の冒頭からしばらく手摺りに手をかけ、指揮棒を振らない様や、
4楽章のはじめのころ、クラリネットが謎かけのように2楽章の主題などを導くところで、こともあろうに尻を振って指図するような傍若無人とも思える様子は、見るに堪えない行為であった。

作曲とは作曲家の思想を音楽にすべく、譜面にすることだと考えている。指揮者はその作曲家が描きたかったものを謙虚に捉え、解釈に解釈を重ねる。
ブルックナーの場合それが大変に困難で、楽譜をそのまま音にすればよい、という考えが跋扈し、今日に至っている。
これに対し、バレンボイムの音楽は自身の感覚に根ざしている。一方で、過去のブルックナー指揮者が持っていた演奏様式や、ある方向性を目指す姿を捉え、それを十分に身につけている。

バレンボイムの今日の演奏に足りない点は、作曲家への謙虚な態度ではないか。
自身の思い込みが激しい、というか自分自身の頭の中でしか演奏ができない人物のように思えてしまう。

今回の演奏会はブルックナーチクルスの一環だ。10日程度の日程で全曲演奏ができる訳を知ったような気がした。
バレンボイムには楽譜の底にある作曲家の苦悩や世界観、哲学を考え抜く必要はない。彼は自分の天賦の才を音にするだけで十分だからだ。
これを天才と取るべきなのかどうか――私には少なくとも理解できない。
(160215加筆)
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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

タグ : バレンボイム ダニエル・バレンボイム シュターツカペレ・ベルリン ブルックナーツィクルス ブルックナー 交響曲第5番

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K.H(元バッチク)

Author:K.H(元バッチク)
紆余曲折を経て、誰が付けたか名前はバッチク。
ライカM3とエキザクタ ヴァレックスをメーンカメラに、輝いている人々を撮ってます。モノ系では、レトロなサインポール、らせん階段、給水塔、ベランダ、教会、トラス、工場とかとか。
以前のメーン機材はリコーGXR。
たまに文書も書きます。

2012年4月、リニューアル。
2013年2月、らせん階段の写真、90アイテムに!
2013年4月、ライカM3始めました。
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